庄司創「サインハザード(ネーム)」感想
漫画の第1話ネームを読んで感想をくださる方を募集 - 庄司創のブログ という記事を読んだ。私はこの方の漫画のファンなので乗ってみる。試みとしても面白い。バクマンの集合知により人気作を作るエピソードを彷彿とさせる。
最近購入した漫画は進撃の巨人 21 巻と闇金ウシジマくん 38 巻。これで参考になるだろうか?なっている気はしない。ちなみに庄司創氏の作品はアフタヌーンの四季賞からすべて読んでる。
- 冒頭、屈強な男たちと気の抜けるような警報、手を払う滑稽なアクションが印象的
- ナレーションは減らすか省いたほうがいい、せっかく印象的なアクションなのにナレーションへ引っ張られる
- 「チェッカーが全員やられてしまった」〜「たすけてティベル」までの下り、セリフ半分ぐらいでよさそう
- 技術や専門用語は世界観を表現する素材として便利だが、作品の核でないなら無駄に難解な印象をもたれるだけなので避けたほうがいい
- ↑は全般的にいえる、他にはペイ ウォレットとか
- 社会科見学?のくだり、場面転換が唐突に感じられる
- 引率者を出すなどして見学であることをもっと強調したほうがよい
- チカが呆れ顔で手すりにもたれている絵の後にクラス メイトの馬鹿騒ぎがきて倒置法のような表現になっているが、ここは逆にして単純化したほうがわかりやすいのではないか
- この点についてはブレンダ登場まで各ページに一コマずつ反応を差し込むことで補完はされている
- この方法で補完するなら、チカの反応のコマは各ページで定位置 & 同サイズにしたほうが印象深くなりそう
- 物理的な位置関係も強調できるので、この方法で補完するならページ最上段に横いっぱいという感じか?
- ただしクラスメイトの騒ぎを受けて、という時系列にそった流れには矛盾してしまう
- ティベルのすごさを表現するのに登場する用語、はじめの 50 桁のかけ算みたいに脳筋っぽいキャラなりの表現だけに絞ったほうが親近感わく
- 脳筋っぽいのにフェルマーの最終定理について聞いたことあるの?という違和感があり、これに言及すること自体がティベル由来?とも読めて混乱する
- 一時的に知恵を拡大するのか、これを経験したことにより知識には影響を残すのか、などと疑問を覚える
- 前者で解釈したが後者の効果を狙っている、または伏線としているならその限りではない
- チカとブレンダの会話でスミス先生のクラスであることを嘆いているが、ここは見学の冒頭でスミス先生を引率として登場させ、凡庸とか難のある人物であることを先に見せておいたほうが効果的ではないか
- 例えば学級崩壊を放置するタイプというのを見せてからクラス メイトの馬鹿騒ぎに移行すると、読者はこれからチカが呆れることへ自然に備えられる
- チカとブレンダの関係性の描画はわかりやすい
- 社会科見学からジェリまでの場面転換を女性の足取りで表現するのはよい
- ただし「助けはいらない」の次のコマで階段を下ろうとしている絵を入れておくと、立ち去ったことをより明示できるだろう
- UD 紹介から兵器の脅威までの流れはよい
- UD とジェリの有能さが分かりやすく描けている
- ジェリが被害状況を察知する描写、本人の勘なのかティベル由来なのか明示したほうがよい
- 社会科見学でも触れたがティベルとそれに接続する端末と能力制限を明確にしておかないと、そうでない場面でもティベルの万能性によって切り抜けたと誤読される恐れがある
- 最後にチカたちのバスへ合流するのは引きとしてよい、次を読みたくなる
初見で 1 周、この感想を書くための 2 周で計 3 周、読んだ。これを書きながら、場面単位の感想をたずねる媒体としてニコニコ静画に公開したらよいんじゃないか?と思った。
以上レポっす。